通例

葬儀なんて、あげなくていい。

母から初めてこう告げられたのは、もう何年前になるでしょうか。
父方が神道の家系であったため、実家には神棚がありました。母方の家は仏教の家系であったため、家には仏壇がありました。
その子供である私や、私の両親は、神道にも仏教にもあまり関心のない、典型的な日本の無宗教者です。そのため、父方の祖父が亡くなったときは神道の葬儀を、母方の祖母が亡くなったときは仏式の葬儀を行いましたが、自分たちの葬儀のこととなると、まったくその様式に関心はありませんでした。

とはいえ、いきなり「私の葬儀はしなくていい」と言われると、やはり「それでいいのだろうか」と思ってしまいます。常識的に、というか、通例的に何かしらの様式で、葬儀を執り行うことが当たり前だという意識が、やはり私にもあったのです。

法律的に言えば、葬儀を挙げるも挙げないも、それぞれの事情次第。自由です。ただ、火葬にして遺骨を埋葬することだけは義務付けられています。葬儀は、どちらでもいいのです。
だからといって、本当にしないわけにも行かないような気がするのは、ちょっと不思議です。特に宗教を信じてもいないのに、死んだ人のために葬儀をしなくてはと考えるのは、理屈に合いません。それでもきっと、もし母が亡くなったときには、何らかの形で葬儀をしてあげたいと思っているのは事実です。

そんな人が、きっと世の中には多いのでしょう。
最近では、家族葬という形が増えてきました。

家族葬というのは、宗教的な様式の一切含まれない、新しい葬儀の形です。新しい、とはいえ、1990年台頃からすでに、家族葬というシステムは確立していました。
それが最近になって、特に家族葬が知られるようになった理由には、近代的な死生観への変化や、あるいは経済事情の悪化などがあるのでしょう。

しなくていいと言われても、きっと、家族葬はやるのだと思います。

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